第1回「道徳教育推進研究全国大会」開催

 平成241124日(土)に、「道徳教育推進研究会」が主催する第1回「道徳教育推進研究全国大会」が、六本木ヒルズ・ハリウッド大学院大学にて開催されました。(後援:道徳教育をすすめる有識者の会ほか)

 この大会は、小・中学校の先生方が中心となり、これからの学校における道徳教育をよりよいものにしていくために、皆で集まり、討論をするために立ち上げられたものです。当日は、九州から北海道まで、100名以上の先生方が全国から集まり、5時間以上の長時間にも関わらず、終始、熱気あふれる会となりました。

 第1回のテーマは、「人物の伝記や実話資料を活用した道徳授業」であり、主要検討テキストは、平成242月に刊行された『13歳からの道徳教科書』(道徳教育をすすめる有識者の会・編)です。以下、各登壇者の発表要旨をお伝えします。

【基調講演】貝塚茂樹(武蔵野大学教授)               「人物の生き方に学ぶ道徳教育」

 戦前の道徳教育には、「徳目主義」と「人物主義」のどちらをとるかという大きな課題がありました。「徳目主義」では、忠義、孝悌(こうてい)などの徳目の意味を毎年くり返し教え込み、「人物主義」では、偉人の生き様を紹介します。徳目は抽象的であるために、授業は形式的なものになりやすく、一方、伝記は、行き過ぎると、興味を喚起するだけのただの“よもやま話”に陥る危険がありました。

 したがって、いかに「徳目主義」と「人物主義」のバランスをとるかが重要であり、そのふたつの折衷を意図して編纂されたのが、明治36年の国定の修身教科書です。この教科書は、どうしたら「徳目主義」と「人物主義」のそれぞれの良い点を生かせるかを編集テーマのひとつとして、作られたものです。

 ところが戦後になりますと、そのバランスが崩れ、人物主義が後退していきます。人物の中に理想的な人間像を見出して、それをひとつのモデルとして子供たちに提示することがされなくなっていきます。

 もちろん、歴史的偉人を通した理想像だけを提示するだけでは、子供たちの現実から乖離してしまいます。子供たちが、経験する様々な状況において、自分で道徳的判断を下せるように、「徳目主義」と「人物主義」のバランスをあらためて真剣に考えるべきだと思います。

 

【実践提案①】山田誠氏(筑波大学附属小学校教諭)        「小学校における人物資料の効果的な活用」

 授業の中で、直接いじめについて考えることができるのは、道徳だけです。もちろん、実際にクラスでいじめが起きてしまった場合、学級活動などで取り上げることはできます。ただし、その場合はクラスの生徒全員が、どんなかたちであれ、“当事者”になるため、本音で話し合うことはとても難しくなります。

 そこで、道徳の時間に使用するいじめを扱ったテキストは、自分たちとは異なる場所で起きた違う話です。そのため、生徒は率直な意見を言うことができ、客観的に考察を深めることができます。

 『13歳からの道徳教科書』には、「葬式ごっこ」という昭和61年に東京の中学校で実際におきたいじめを扱った教材が載せられています。これをテキストに授業をしてみたところ、「仲良くしてあげたいが、実際にいじめがあったら自分はどうするかわからない」「『やめなよ』と言うことはできないかもしれない。でも話を聞いたり、本当の友達になってあげられればいいと思う」といった、葛藤しながらも、真剣に答えを見つけ出そうとする生徒の姿を見ることができました。

 

【実践提案②】                        中山和彦氏(栃木県小山市立大谷東小学校校長)

飯島治氏(栃木県小山市立小山中学校教頭)

 「中学校における人物資料の効果的な活用」

 

 

 道徳の時間で使用する教材は、子供から「近い資料」ではなく、「遠い資料」であるべきだと思います。「近い資料」とは、子供が普段生活している世界を背景として書かれたものであり、「遠い資料」は、歴史的なものや、外国のことなど、日常から離れたストーリーです。日常を超えて自己を自由に投影し、考えを深められる「遠い資料」こそが、道徳の時間にはよりふさわしいと考えています。ただしその際には、先生自身が、テキストを正確に理解し、その徳目をきちんと把握する必要があります。

  『13歳からの道徳教科書』には、「馬子(まご)の正直」という江戸時代の熊沢蕃山中江藤樹について書かれた「遠い資料」があり、これをテキストに授業を行ないました。ただし、この教材を読むまで蕃山についてはあまり知りませんでしたので、準備として、関連する本を10冊ほど読み、蕃山という人のすごさをはじめて知ることができました。

 道徳教育をよりよいものにするには、何よりも教師自身が、常に向上し、充実するように心がけることが大切なのではないでしょうか。

 

【実践提案③】天野順造氏(高知県中土佐町立上ノ加江中学校校長)

「美しい日本人の心を育てる道徳授業」

 道徳の授業に限りませんが、生徒の心が揺さぶられたときに、はじめて意味ある授業になります。そして生徒を感動させるには、先ず教師自身が心揺さぶられた教材を選ぶことが重要です。

 『13歳からの道徳教科書』には「日本の再建を目指して」というSONYの盛田昭夫さんを扱った教材があります。私は、これを読んだ時に本当に涙を流して感動したんですね。そこで、このテキストを使って授業をしたところ、生徒の反応もとても良く、授業後に、「この時代の人たちは誰よりも本気だったということを感じた」「自分の会社の名前を捨てずに、あきらめないで頑張って成長させてすごいと思った」といった力がこもった感想を寄せてくれました。

  つまり、結局のところ僕の道徳教育は、とてもシンプルであり、自分が感動したことを素直に子供たちに伝えることにつきます。一所懸命に生きた人を一所懸命に伝える。これにまさる道徳教育は、結局のところないのではないでしょうか。

 

【模擬授業】 野口芳宏氏(植草学園大学教授)

〈野口氏は、『13歳からの道徳教科書』収載の皇后陛下の講演録「橋をかける」をテキストに模擬授業を行いました。この講演では、(やまと)(たけるの)御命(みこと)を助けるために、お后の弟橘比売(おとうとたちばなひめの)(みこと)が自らの命を投げ出すという神話のエピソードが紹介されています。この行為を、どのように考えるべきかを中心に授業は展開されました。以下は、その結論部分になります。〉

 

  この弟橘比売命の行為は、「自殺」ではなく、「捨身(しゃしん)」という言葉で言い表せるものです。「自殺」というのは、大体が追い詰められた敗北の業といえます。「捨身」というのは、自らが進んで善のために身を捨てることです。自らを犠牲にすることで大きなものを救うわけです。皇后陛下が「愛と犠牲が一つのものとして感じられた」と表現されているように、この弟橘比売命の行為は、もちろん「自殺」というレベルのものではなく、大義のために生きる崇高な行為であったと言えるのです。

 

【パネルディスカッション】 テーマ:「人物の伝記や実話資料を活用した道徳授業」

登壇者:山田誠氏、中山和彦氏、天野順三氏、野口芳宏氏

コーディネーター:貝塚茂樹氏

〈話題が多岐にわたったディスカッションですが、ここでは、伝記を取り上げることで浮き彫りになる“教師の人間性”についての各氏の発言を取り上げました。〉

 

貝塚 人物重視の資料がなぜ学校で受け入れられないかについて、「本音で言うと、結局のところ教師自身の生き方に関わってくるからである」という戦前の文章を読んだことがあります。つまり、偉人を通して、教師の人間性という問題がつきつけられるのだということです。これについて、各先生はどのようにお考えでしょうか。

 

山田 いじめに関して言うと、『13歳からの道徳教科書』にはふたつの資料がありますが、どちらも、いじめをしてしまった自分の醜さを回顧するという内容です。憧れよりも人間の弱さを浮き彫りにする資料ですが、教師も含めて、誰もが持っている弱さというものに向き合うということも重要だと思います。 

 

中山 生徒だけでなく、教師にとっても道徳については常に考えなければならない問題です。教える道徳的価値をきちんと理解するということは、教師の人間性が大きく関わってきますので、教師自身が常に自己を高め続けることが何より重要なことだと思います。

 

天野 どんな人間にも、弱さ醜さは当然あります。それは教師も同じです。だから、偉人を紹介しながら、先生自身も「自分ではとてもできない」ということを正直に生徒に吐露していいと思います。ただし、同時にそれをどのように克服していこうとしているかを示すことで、生徒に弱さ醜さにいかに向き合うべきかを教えられればいいのだと思います。

 

野口 研究と修養といった場合、学校の先生は研究ばっかりやっています。研究の本質は他者改善です。一方、自分を高める修養に関しては全くやっていません。自らを高めることを忘れて、子供を高めることに夢中になることは滑稽です。この道徳研究推進研究会は、我々教師自身の在り方を問いなおす、そういう会になればいいと思っています。